
コロナに想う
更新日:5月2日
もはや世界的な問題であり、多くの人が影響を受けているコロナ。
緊急事態宣言、外出自粛、休校、売り切れ、
賑わいが消え、学校では生徒同士の会話や合唱も禁止、テレワーク、イベント中止、
とにかくリアルなコミュニケーションがどんどんできない状態になってきており、
行動はおろか、気が付けば思考まで制限を感じる。
スーパーに行けばどこを向いてもマスク姿。夢でも見ているのだろうか。
これまでの日常は非日常に
非日常が日常になりつつある。
つい数か月前は、こんな日が来るとは思わなかった。
どうしてこんな騒ぎになるのか。
未知のウイルスで、現在その対処法も確かではないと言われているからだろう。
罹るとどうなるか、どうしたら治るかはっきりしない不安
そこに、重症化など更なる不安情報が入り込む。
ますます混乱する社会。
人間は、未知なものを恐れる。
見えないからさらに恐れる。
同じく目には見えないもの 原発事故(放射能)のときは? というと
今回ほどの混乱はなかったように思える。
放射能はウイルスほど人々にとって『身近』ではなかったのだろう。
放射能ついて知る人が専門家と言われる人も含め、あまりにも少なく、感染症のようにすぐさま症状がでるものでもなく、検査ができるものでもなく
その時は経済が優先され、それは風評として片づけられた。
私は震災の時、実は移住を考え、4か国をまわり、学校の見学、入学手続き、住居の手配までした。
黄砂が4000キロ離れた日本まで2~3日で飛んでくるのは疑問に感じないのに、
震災の瓦礫は遠くアメリカまで潮に乗って運ばれているのに、
放射能は福島だけの問題だと思っている違和感。
海も空気も繋がっているのに、自分のところは大丈夫、と殆どの人は他人事だった。
2年間、日本と海外を行き来して、悩み、人生とは何か、生きるとは? 幸せとは?を考えた末、いろいろな気づきがあり、結局は日本に残った。
そんな私なので、今回のコロナでも誰よりも気にしているのでは? と東京に住む友人から連絡があった。
が、、私が普通にしているのを知って友人は驚いたようだった。
震災の時、私が海外にまで行ったのは、原発事故の恐ろしさから、それ位しか助かる方法はないと思ったから。
今、みんながマスクして3密を避けようとしているのは、
どうやらそうすることが「無事でいられる方法」と思っている(思わされている)からだろう。
また、「それをしないとバッシングされる」と言うのも知っているから。
で、今、私が平常心でいられるのは
何をすればよいか、どうしたら良いか、どうなるのか、が震災の時よりもずっとわかっているから。不安がないから。ウイルスとは何か、万一感染した時はこうする、もハッキリしているから。
一度震災で見えないものへの恐れと、その付き合い方を勉強し、様々な体験をし、気づきがあった。あの時、大切な家族を守るために思いつく限りをした結果、皮肉にも子どもは、頭痛と鼻血と腹痛を訴え、食べられないものが増えていき、目からは輝きが消えた。幼子を抱えギリギリの状態で、悩み苦しみ。そうしていたとき、声は聞こえ、涙がこぼれた。
それは、自分の中にふと浮かんだ言葉、なのだけれど、こういうのを天の声と言うのかな、と思う。
移住しなかったのは、そのお陰で、ここでもやっていける決意がついたから。
あの時、実はレメディも大ヒットして、自分の足がしっかり大地に繋がるのを実感した。実に不思議な体感だった。これらのお陰で私は不安を手放し、目の前の世界を変えることができた。
それにしても、この騒動で、「子どもの心のケア」に関する報道や取り組みがないのはどうしてだろう。これだけ急激に社会、環境が変わってしまったら、大人子どもに関わらず心のケアは絶対に必要だろうに…。そう、3密を避けマスクするよりも、私なら子どもには「大丈夫」って言葉をかけてあげたい。そして、不安との向き合い方を教えたい。
でもこの話、分かってくれる人、私と同じ体験でもしなければ、、いないだろうなぁ。。。特に今は。。。。。。
*植物療法もメニューの一つとして取り入れたいな♪
