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解れることができれば、楽になれるのに

更新日:2020年9月30日

こんにちは!

札幌市清田区で心のカウンセリング付バイオリン教室と心のセラピー、セッションをご提供しております『碧い森』のaoiです。



さて、、今日のタイトル・・・。



セラピストの資格を取るために学校に行っていた時、

授業の初めにやること、それは、般若心経や祝詞、ご真言を唱える。でした。


これは別に宗教的な意味ではなく、

セラピストとして活動するにあたっては、色々な人のエネルギーを受けることになるため

そうした場合に、備えるとともに

自らの穢れを取り、自らの霊性を上げるのが目的でした。


そのなかに、『一切成就の祓い』というのがありまして


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極めて 汚きも 滞りなければ 穢きとはあらじ

(極めて汚いものも、滞りなければ、穢れではない)

内外の 玉垣 清浄と 申す

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という祝詞なのですが


この、「極めて汚いものでも、滞っていなければ、穢れではない」

という言葉の深さに、深い感銘を受けたものです。



というのは、インナーチャイルドにせよ、部屋の汚れにせよ、何かトラブルにせよ、

良くない状況というのは、殆どが『滞っている状態』と思うからです。


水は、流れが止まると腐ってしまいます。

空気も入れ替えなければ淀みます。

使い終わった食器も洗わず放置していれば、カビも生え、悪臭を放ちだします。

同じ姿勢で動かず、じっとしていれば身体が凝って血流も悪くなります。

そして、いつまでも何かにこだわり、考えや、自らを変えようとせず、頑なになれば


つまり、「心が滞れば」コミュニケーションにもひびが入り、同じ失敗を繰り返し、

良くない状況に陥るでしょう。



良くない状況を変えようと思うなら、滞りから脱却することです。

窓を開け、風通しを良くし、水を流し、動きを付けることです。

自分は石のように動かずに、相手が変わるのを待つのでは、自身の滞りは解決しません。

滞り(こだわり)を手放した方から変わることができます。

手放せた方から楽になり、幸せになります。


詰まった排水溝から一刻も早く出て、流れることです。

流れがある川は、臭くありません。臭いのは、、殆ど流れていない淀んだ川ですよね。

ある感情を抱えたまま、脱却できずにいると苦しくなります。


そこに留まってしまうのはなぜでしょう。

何もそこにいつまでもいる必要はないのです。


ある感情の1地点にしがみついたまま、

相手が自分の思うようになるのを要求するのはやめましょう。

相手はもう、そこから離れて先に行っているのに、

引き戻して同じ泥を付けることになります。


自分に非はないと折れずに、相手がいけないのだ、相手が態度を改めるべだと主張し

自分の要求が通れば

自分の正しさを証明したと思うのでしょうか。


それは証明ではありません。

認証欲求があっただけです。



本当は認めてほしかった。

愛がほしかった。

必要じゃないと思われるのが怖かった。

自分は駄目だと思われたくなかった(認めたくなかった)。

間違っていると思われたくなかった(思いたくなかった)


それだけです。

もし、そうじゃない、と思うのであれば、

都合の良い言い訳をしているのではないでしょうか。

自己を正当化して、正義と信じているだけではないでしょうか。


怖いからしがみついてしまう。

こだわってしまう。

頑なになってしまう。


本当のことを知るのが怖い。

(つまり、それだけ、過去に傷ついてしまったということ)

そして、その場から動かなくなるから流れが悪くなり、

淀み、負のスパイラルから抜けられない。


その頑なさは、必要なものですか?

怖いだけではないですか?

思い切って手を離してみたら、実は水深2cmかもしれません。

思いのほか、外の世界は快適で、鎧なんか不要で、すごく軽やかでいられるかも。

その固く瞑った眼を開けてみたら、事態はそんなに深刻ではないのかも。




「滞りなければ、穢き(きたなき)とはあらじ」


しがみついた、その手を、その指を、勇気をもって放してみませんか。

長年の思い込みで、自分を縛って窮屈にすることほど

勿体ないことはないように思います。

今がベストではないのであれば


そこにいつまでも滞らずに、いつまでもその感情に支配されずに

その先の世界を


体験してみましょうよ。










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